世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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Violet

珍しく真面目な記事を書く気がするので最初に述べておこう。所詮ただの自分語りなのだが、良ければ是非読んでいただきたい。

 

カテゴリーに「衒学的哲学」というよくわからない何かを追加しておいた。「哲学」とついているが、私の残念な脳みそで考えられることなどたかが知れているので当然本気で哲学をやるわけではない。哲学を本気でやっている方には大変失礼な用法だと思うが、ここで使っている「哲学」とは「なんか(自分にとって)難しいこと考えてる私ってすごいけど、ジャンルがわからないし哲学ってことにしてカッコつけよう」という超雑な動機から生まれた「哲学」である。全国の哲学ファンの方(?)、ごめんなさい。とはいえ、このカテゴリーに分類する記事は大抵が真面目な記事(一応いつも真面目に記事書いてるが)になると思うので「この人はこういうふうに考えてるんだな」という視点で見れば読み物としては悪くないかもしれない。

導入が相変わらず長くなるな。気を取り直して本題を書いていこうと思う。

 

 

先ほどの記事で述べた明朝に猫耳のフード被って雨の中を全力疾走するという行為なのだが、今思うと通報されなくてよかった……とか言いたいのではなく、この行為の裏には二つのワードが大きく関与していた。

「直感」「理性」である。

私は今まで、この二つのものを得意としていたし苦手としてもいた。言い方を変えるなら、大きく振り回されてきた。自分を「複雑な人間」「異端者」などと自称してきたが、その根本にはこの二つがかなり強く絡んでいるのだ。

自分で言うのもなんだが、私は直感も理性も優れている人間だと思っている。

直感の話だが、私は幼少期のころから直感的な行動が多かった。失敗も多かったのだが、少なくとも自分は楽しめていた。今なお直感的に動くことは数多くある。全力疾走の件もこれだし。直感で行動するのが多いだけというだけでなく、それは優れていると自負している。いや、冷静に考えるとこんなドヤ顔で書くほどでもないかも知れないが……。例えば、友人といる時咄嗟に話題を引き出したり笑わせたり、多人数でいる時に険悪なムードになればすぐ気づいたり。少なくとも、周りに対しての直感には自信がある。

理性も優れているだろう。「物事が道理に沿っているか反しているか」という判断は他人にもよく賞賛される。私は自己主張が強いのか物事に対して自己的な見解を持つ事が多いが、理性的に判断する是非と自己的な見解はしっかり分けることができているように感じる。簡単に言ってしまえば「その場で正しいことを導き発信する」能力が高い。気がする。

と、偉そうに書いてみたが、どっちも優れてるのならなんでニートやってんだよって感じだなこれ……。勿論、両方にダメな部分もあるだろう。それも結構な数が。

しかしそれ以上に私を苦しませてきたのは、直感理性の交錯がこの上なく激しいことだ。

「直感を優先すべき場面で理性を優先する、あるいは、理性を優先すべき場面で直感を優先する」という経験が非常に多いのである。私はこのどちらにも頼ってきたが故に、どちらを優先すべきかわからなくて適当に直感や理性を吐き出すようなことを何回もやってきた。だからこそ今の私がここにいる、というのは悪い気分ではないが、もしこのどちらかを常に正しく選択出来ていたら……恐らく、全く違う私がいただろう。そちらの方が良かったとかいうのではないが、少なくとも今のネガティブな私ではないだろうなぁ。

 

私のイメージカラーはバイオレット両極端な赤と青、直感理性が交差して作られる色は繊細で二面性があり、そして何より、複雑である。

――この上なく、私らしい色だ。いつか美しい紫を見せられるようになりたいものだな。

 

 

……ん? バイオレット? バイオレットと言えば……

と、これはまたの機会に回すか。昨日取った彼女の景品は偶然か必然か……。

ちなみに……というより何度でも言ってやるが、私は霊とか占いとかそういう類のものは全く信じていない。ホントにバイオレットなのかこいつ。