世の中そんなに甘くない!

『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである』 神奈川県在住の推定発達障害者が書くグダグタブログ

心の重傷

あれ? 私が今陥ってるのってもしかしたらメサイアコンプレックスなのではないか?
考えてみると、他人を助けたいって心理が発生したのがちょうど自分が辛かった時期と重なる気がする。私は他人を助けたいと思っているが、これはもしかして自分が他人を助けて自己満足したいためじゃないだろうか。症状的には当てはまってないのだが……例えば、メサイアコンプレックスの人間は精神論や人類愛を好むらしいが、私はこれを全否定している。根性とか気合とかは大嫌いでこれを持ち出すことはないし、全ての人が人を愛するなどバカげていて仕方ないと思う。むしろ私は、何かがあってこそ初めて愛や友情が生まれるものだと思っている。その辺を歩いてる他人をどうやって好きになれというのか。

「近隣に暮らす人々の間の平和とは、人間にとって自然な状態ではない。それどころか、戦争こそが自然な状態である。敵意はただ戦争のみに見られるものではなく、我々は常に敵意に脅かされている。それ故に、平和状態は法により確立されねばならない。」-イマヌエル・カント『永遠平和のために』より

この言葉を人間関係に当てはめていいものなのかは知らないが、まさしくこの通りだろう。なので私は、関係をもたない他人にはなんの価値もないと思っている。逆に言えば、関係を持っている人間(自分以外の人間という意味だとこれも「他人」だが)には価値がある。私が助けたいのはこちらだ。もし私の友人などの「私が好きな人間」が私の力を必要としていたら、私は力を貸したい。この「限定的に」他人を助けたいというのはメサイアコンプレックスには当てはまらない気がする。しかし、最近この好きな人間を助けたいという気持ちがやたら強いのは、それほど自分の価値が無くなっていると実感していて自分に価値を見出したいからではないかと思ってしまう……。今度は心気妄想だろうか。心気妄想ではないかという心気妄想。そういえば、いくら壁殴って貫通させたからって死んでなんとかしないととまで思うのは罪業妄想ではないだろうか。考えれば考えるほど、私は今うつ病の真っ只中にいるんだなとよく理解できる。うつ病の期間が長すぎてホントの私ってどんなのだったか忘れてしまった。今はむしろこっちが自然である。
私は、このまま苦しいままでも構わない。私のような人間は苦しんで当然である。だが、もし叶うのならこの苦しみから抜け出した先に救いがあってほしいものだな。ないならないで良いのだが。