世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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人間が先か、機械が先か

Good(ry ……この挨拶必要か?

 

突然だが、ここでクイズだ。景品はないけど。

 

Q.道路を車で走っている時、先に見える信号機の点灯と警察官の示す手信号が異なっていることに気づいた。この場合、どちらの指示に従うべきか?

 

答えは下記に……と、勿体ぶるほどの問題じゃないけど。

 

 

 

 

 

A.警察官の手信号に従わなければならない。

 

この問題は普通免許はおろか原付免許でも出題されるような、一般的な決まり事である。あ、だから知らないやつはアホだとか言うわけじゃないですよ。っていうか私も原付免許取るまで知らなかったし。

「警官がわざわざその場に立って手信号やってんだから普通そっちだろ」と思う方も多いだろう。「信号機に従ってしまうと事故が起きる可能性があるのでは?」そう思う方もいるかもしれない。

 

そこで、次はこの問題だ。景品はないけど。

 

Q.航空機を操縦している際に管制官の人間とコンピュータの指示に矛盾が発生した場合、どちらに従うべきか?

 

これも答えは下記に……まぁ、大体の人はわかるだろうが。

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A.人間の指示に従わなければならない。

ま、そりゃそうですよね。車がそうなんだから航空機も……あ、解答間違ってたわ。

 

真A.コンピュータの指示に従わなければならない。

 

そう。航空機の運用マニュアルでは、人間とコンピュータの指示に矛盾が発生した場合コンピュータに従うよう明記されている。

これについては、過去に管制官ヒューマンエラー(その名の通り、人間の失敗)により航空機が衝突しかけたという事件の以後「人間とコンピュータの指示に矛盾があった場合、前者に従う」というマニュアルが「人間とコンピュータの指示に矛盾があった場合、後者に従う」と変更された経緯がある。なんでも、そのころは「コンピュータなんて故障するものだろ、人間が正しい」という概念があったらしい。ここまでだいたいWikipediaさんの引用です。

 

この事実から想起される「人間と機械の関係」については、なかなかに興味深く考えさせられる。

 

「人間は絶対ではない」これは間違いないだろう。それは日常的に色々なミスをしている自分がよく知っている。他の人は知らないけど、常に正しい選択と正しい行動を行える人間はいないはずだ。っていうか、さっき述べた事件は「機長がマニュアルに正しく従った」ことで発生した側面もある。そもそも、正しい選択とは何だ?

じゃあ言わせてもらいますけどね。私今すごいアイスが食べたいんですよ。ただアイスにありつくと太るわ金は飛ぶわ、そもそも買いに行くのがめんどくさい。そのリスクを飲み込んで、アイスの欲求を満たすべきか? ……正しいかはともかく、私はこの記事を書いたらもう寝る。

では「コンピューターは絶対」かと言われると……そんなこともないだろう。コンピューターに水ぶっかけたら壊れるだろうし……いや、それは明らかに人為的ミスですね。コンピューターに水をかけてる人間側のエラーだ、多分。じゃあ、雷の影響で過電流が発生しコンピューターがぶっ壊れたら……? これも人間側のミスだろう。だって雷落ちてる時にコンピューター起動してるのが悪いし……ってあれ、人間が制御することはできない雷でコンピューターが故障したらその時点でミス関係なく絶対ではないような……「雷落ちてる時にコンピューター起動するな、コンセント抜け」という話でも、その間コンピューター起動できない時点で問題なんですけど……いや、難しいですね。もう知らん、この辺は偉い人が何とかしてくれるだろう。

で、この長くてわかりにくい私の考えはともかく「コンピューターは絶対ではない」ということを証明できる材料を私は持っている。

次に改行入れた後それを炸裂させるからな、いいか? 驚くなよ?

 

 

コンピューター作ってるのは、まぎれもなく絶対ではない人間なんですよ!!

どうだ? 驚いただろう。いや、変な溜め作った時点で若干予想ついちゃったかもしれないが……これは覆しようがない事実だ。

結局、どちらも絶対ではないと私は思う。

ただ、これはある意味わかりやすい。なんとなく「"絶対"なんてない」と感覚的に感じている人も多いのではないか。いや、知らんけど……。

まぁ、これに関して話すとさらに広がってしまって話すことが尽きないので置いておき……では、どうすべきか。絶対がないのなら、どうすれば? 人間が先か、機械が先か?

人それぞれと言えばその通りだが、私は「正しい可能性が高いほうに近づく」というのが一つの方針として示せるのでは、と思う。先の例で言うと、ヒューマンエラーで事故が発生する確率と、コンピューターの故障や不具合により事故が発生する確率の両方を比べ、それが低いほうに従うのが「絶対ではないが、その方が良い」と言えるのではないだろうか。かみくだく「絶対なんてないのでコンピューターと人間で力を合わせ、せめてミスの確率を減らしましょう」って感じ。

 

私がやりこんだゲームの一つメタルギアソリッド ピースウォーカー(以下MGSPW)」では、このテーマが描かれているように思える。実は前ちょっと取り上げたので同じようなことを書くかもしれないがお付き合いください。

今の時代だけではないが、仮にある国がある国を核攻撃した場合、先制核攻撃を受けた国が核の着弾前に報復として核攻撃をすることにより「どちらの国も『絶対に』壊滅する」ことが証明されている(相互確証破壊)。そして、この事実により「とある両国が核攻撃を行った場合どちらも壊滅するのだから、お互い核攻撃は出来ない」……核の使用をためらわせる、いわゆる「核抑止力」が働いている(全ての国にではないけど)。

しかし、このゲーム内では「人間は確実に報復するのか?」というのがテーマになっており「AI(=機械)により核報復を制御し、そのAIが実際に報復をするいわばパフォーマンスを行い、絶対の核抑止を普及させる」という野望?を抱く登場人物もいる。この時点で割とぶっ飛んでる気もするけど。

これも、何が正しいのか……絶対はないだろう。

色々思うことはあるが、やはり私は……

「人間と機械は、お互いに歩み寄るしかない」という結論しか導けない。

 

2045年には、この思想は変わっているだろうか。そこにもやはり、絶対はない。