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『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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ニートだが、履歴書は手書きすべきという風潮に物申したい

意味不明、理解不能。ニートの私が言っても説得力なさそうだし「こういう意見もあるんだな」程度に受け取ってもらいたいが。

 

タイトルの通り。日本の「履歴書は手書きすべき」という風潮、まるで理解できない。人はそれぞれ正義があって争い合うのは仕方ないのかも知れないし、「いや手書きにしろよ」という意見を持つ方もいると思う(というか、多分こっちが多数派)が、少なくとも私はこれを絶対に否定したい。

 

手書きの方が気持ちが伝わるという意見、その根拠はどこにあるのだろうか。私が考えたのは「手間がかかる→頑張っている→気持ちが伝わる」という流れなのだが、手間がかかっているとなぜ気持ちが伝わることになるのか? PCで作成した方が読みやすさに長けるし(特に、字の汚い人でも問題なくなる)、文字を書く時間も少なくなり、間違えた際に見栄えの悪くなる修正や一からの書き直しをする必要もない。効率、実利を見ればPCなどによる履歴書作成のほうが圧倒的に優れているのだ。しかし、これは逆に手間がかからないということになる。

……で? 手間がかかってないから悪いのか? これを他に例えると、山頂を目指す際

A:装備をしっかり整え、ルートを入念に調べ、最短ルートで山頂に辿り着く(PC、道中はあまり苦労しない。結果は良好)

B:装備も整えずルートなども調べないが、山の中で闇雲に頑張り山頂に辿り着く(手書き、道中で苦労する。結果は良好〜普通未満まで様々)

というやり方の違いだろう。ここで私は、重要なのは結果であると考える。Aの人間は効率よく結果を出しているのに対し、Bの人間は頑張ってるものの、別に効率も良くなければ結果もAと同じか場合によってはそれ未満。同じ山頂にたどりつくのに、苦労するか苦労しないか、どちらが良いことだろうか。……答えは人によるだろうが、私は断然Aの方が良いと考える頑張ったら結果も良くなる(もっとも、大抵のことはこれに当てはまる。たくさん勉強した人とほぼ勉強してない人、テストの点数はどちらが良いかなど簡単に分かることだ。例外もあるが)ならともかく、頑張っても頑張らなくても結果は変わらない(むしろ、手書きは結果が悪くなることもある)のになぜ無駄に頑張る必要があるのだろうか。こういう苦労を美学とする日本の風潮、極めてよろしくない。私は日本という国が結構好きなのだが、ここだけはホントに意味不明な風潮だと思う。

だが、手間がかかっているから気持ちが伝わりやすいというのは感覚的には分かることである。勿論、こんなの勝手な思い込みだが。それに、手間や時間をかければ気持ちが伝わるというのは他の考え方でも否定できる。

A:履歴書をPCで手間をかけずに作ったが、その分浮いた時間を面接の練習や自己アピール、応募先の研究に充てた人

B:履歴書を手書きして手間をかけて作った人

仮に履歴書の完成度はどちらも同じだとして、どちらが良いだろうか? これも私個人の意見だが、私が採用担当なら面接の内容や自己アピールが良く、しっかり研究もしてきているAの人間の方が欲しいと考える。そもそも、この論争の焦点は「気持ちが伝わるか伝わらないか」が一つあると思うし、この記事でもそれに焦点を当てているが、AとBのどちらが熱意を伝えられるかなんて簡単に考えればわかるだろう。手書きかPCかという点以外では変わらない紙一枚と、人と人とが少なくない時間対話し、相手がどのような人間が直接見極める場面である面接、重要度は後者の方が高いはずだ。というか、同じ内容の履歴書一枚が手書きか機械作成かで人を見てふるいおとす会社など、こっちからお断りである

 

長々と書いたが、とりあえず私は今後履歴書を書く際よほどなこと(例えば、応募先が手書きの履歴書での応募を推奨してるなら、相手の意思の尊重なども含め手書きにする)がない限り機械で作成する。手書きじゃないから落とすという会社なんて、むしろこっちがふるいにかけられてありがたいくらいだ。そんな会社行きたいと思わない。

 

え? ニートが偉そうに言うな? ごもっともです。あくまで一つの意見……。

 

 

1/23 追記:他の要素について書いてあるサイトがあったので、箇条書きで引用した上で意見を述べておこうと思う。


・丁寧に書くべき大切な書類で、字を丁寧に書いているか

仮に時の上手い下手に関わらず字を丁寧に書いているのが伝わるとしても、履歴書の内容が変わるわけではない。字の読みやすさならむしろPCの方が優れている。記事で書いた通り、文字を丁寧に書くことで熱意を伝えるより、面接など直接の対話で熱意を伝える方がよほど効果があるだろう。とはいえ、これはまぁわかる気もする。


・重要な書類で誤字脱字をしないか、適切に修正しているか

誤字脱字をしないのは当然であり、PCでも手書きでも関係なく誤字脱字があったらアウト。「適切な修正」とあるが、そもそもその時点で少なくとも誤字脱字をしているわけで、手書きの場合、適切な修正方法を知っているとアピールするよりさっさと書き直した方が見栄えも良く、ミスがないことを伝えられるさらに、PCではそもそも見栄えに影響のないまま簡単に修正できるのでこちらの方がよほど効率的かつ完成度も高い。同じ内容の履歴書なら、あえて手書きでミスのなさをアピールする意味はないように思える。


・「一般的に履歴書は手書きで書くべき」という情報を収集し、実行できているか

確かに一般的にはそうだろうし、一般常識や情報収集の重要度を考えれば良いことだが、そもそも「履歴書を手書きする」ことの必要性のなさ、意味のなさをこの記事で散々述べており、意味のない情報を何故か重要視しているように感じる。それに、一般的にそうだとしてもそれに合わせなければならない必要性もない。むしろ「みんな手書きだから自分も手書き」という考え方は、主体性のなさ、流されやすさ、自己の希薄さを示しているとも考えられるのではないか。私なら、手書きであってもPCであっても、そうした理由(手書きなら気持ちが伝わるのではないか、PCなら効率が良いのではないかなど)をしっかり示せる人間の方がよほど信用に値する。

 

・相手にあわせて対応する社会性があるか

相手が手書きを推奨してるなら手書きで、機械作成指定なら機械で、特になければ考慮しないというのが「相手への対応」であり、手書きだから相手に合わせていることにはならない。


・企業に対する熱意・志望度

熱意や志望度を伝えるなら、履歴書の「形式」にこだわるより履歴書や面接の「内容」を充実させましょう。手書きだから熱意がある、志望度が高いという考え方は理解できない。仮に採用担当がそう考えるなら、少なくとも私はそこに応募しようと思わない。