世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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どんなときもずっと

しかし、今日は暑い。そろそろ30度を超える日も出てきたし、冷房もすでに使い始めた。設定温度は27度にしてあるが、これだと風が直射する位置では逆に寒い……。エコな28度にしようか。どうせ電気代は親持ちなので節約する気はないのだが、それでも冷房の温度ごときに悩んでしまう夕方であった。

 

相変わらず突然無気力になる現象が度々起こり、その時は逆らっても無駄だと割り切ってふて寝している。うつ病のせいで他のことをつまらなく感じてしまうのか、単に他のことがつまらないのか、それとも他の原因があるのか知らないが、そろそろこの無気力症候群はなんなのかというのが強く疑問に思えてきた。当然だが、早く治ってほしい。無気力状態だと、無気力自体が罪なことだと考えはじめる(他のことをやる気が起きないというのは単純に人間として問題ではある)ので、間接的にストレスやうつ傾向を増進してしまっている。解決する方法は簡単には思い浮かばない。

昨日、旧い友人と会ってきたのだが、やはり友人と会って話すというのはそれだけでものすごく楽しい。なぜかはわからないが、ゲームでは得られない刺激が得られる(ゲームも楽しいけどな)。友人と遊ぶというのは自分の中で大きなプラスになるということなのだが、このような刺激を得られる何かを増やすことが解決方法の一つではないか、とは思う。昔の記事でも述べた「やりたいこと」を見つける時が今なのだろう。「やらなければならないこと」は、少なくとも今は考えなくていい(今のところ一生考えるつもりはないが)。私は子供なので「やりたいこと」に全力を尽くしたい。たとえその先が不幸でも、後悔なんてするはずがないと言い切れる。しかし、これは幼稚な考えなのだろうな。やりたくもない仕事をちゃんとこなして、まともな生活を送っている人間から「そんなの当たり前だろ。俺だってそれでなんとかなるならそうしたいわ」と批判されて当たり前である。……あれ、この展開どこかで……。

 

「何よ……なんとかしなくちゃいけなんだからしょうがないじゃない! 私だって好きなことだけやって、それだけでなんとかなるならそうしたいわよ!」

 

少しラブライブの話題に逸れるのだが、μ'sに加入する前までの絢瀬絵里は「厳格な優等生」として描かれていると思う(加入後だいぶポンコツ化したけど)。しかし、私からすると「優等生」というよりも「真面目、真っ当」という言葉の方が的確な気がする。えりち本人は「厳格な優等生」ではなく、「厳格な優等生」であろうとしていたのではないか。それは単に、真面目だからだ。自分を抑え込んで「厳格な優等生として」廃校阻止を目指し、「自分に素直」な穂乃果たちと一時的に対立する。そのえりちに対しての高坂穂乃果は「厳格な優等生」としては全く描かれていない。「自分のやりたいことを(悪く言えば、周りのことも考えず)好きなようにやっている」存在である。しかし、それゆえに人を惹きつけ、最終的には廃校の阻止を達成した(それと同時に新たな問題が起き、穂乃果の心情は大きく揺らぐことになるのだが)。

この作品は高校生の物語なので大人とは少し事情は違うが、世間を見てもこの二人と似たようなものがあるように思う。そして、私の想像が正しければ、ほとんどの人は「真面目、真っ当」であり私のような「やるべきこともやらない自分勝手な人間」はわずかだ。しかし、このどちらが優れているかとか正しいかとかは決めつけるべきではない。ここから先は多種多様なのだ。例えば私なら「真面目、真っ当、厳格な優等生」になりたいとも思うが「自分勝手に好きなことやってればいいや」という思いの方が強い。「真面目、真っ当」な人でも「自分勝手にやれる人が羨ましい」という人もいれば「自分はきちんとやるべきことをやっているしこれでいい」という人もいるだろう。世間的に真面目な人でも自分に素直な人でも、自分はこれで正しいと進みつつ、時たま逆の生き方に憧れたり、そういうものなのだろうな。全くまとまってないが書き疲れたので終わり……。

 

話を急激に戻すが「やりたいこと」ってなんなのだろうな。一ヶ月前は「本当にやりたいこと」が見つからないという事実に深く沈んでいたしそれを記事にもしたのだが、今は多少前向きに考えることができる。まだ死ぬまで時間はあると思うし、ありがたいことに親(相変わらずだが会話はかなり減った。しかし、親なりに気を遣っているように見える。悪い印象は弱くなった)のおかげで今は好き勝手できるので「たまにはゆっくり君のペースで やりたいことたち見つめてごらん そのあと頑張れ全力でね」ということだろう。気分が晴れて大空に舞い上がる日が来るといいが。