世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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「スピリチュアルやね」と言われれば、私はそうではないけど、そうあってほしい。

今回はオカルト?あるいは超自然、スピリチュアルのちょっと真面目なお話。

 

私は不思議な能力を持っている。このブログでは何回も書いているが、いわゆる「明晰夢」というやつだ。寝ていながら夢の中で「夢の中にいる」(これは別にパロディネタではない)と自覚していて、さらには夢の内容を捻じ曲げてしまうこともできるまさしく夢がひろがりんぐの結構レアな能力。……と自慢したかったのだが、明晰夢を見られるという知人が二人いるので実はそうでもないかもしれない。しかも私の場合担々麺召喚したり人の首落としたり秋葉原行ったりとあんまり有効活用してないんですけどね。ちなみに私は異様に夢をよく見る体質で、かつ内容を(恐らく断片的に)覚えていることも多い。このブログでも夢日記として書いたりしている。

そして、直前の記事で書いた「金縛り」とかもいままでたくさん受けた。金縛りを受けるという表現が日本語的にどうかは置いておく。小学生のころ初めて金縛りを受けた時は、呼吸ができず(体感の話であり、実は金縛り状態でも普通に呼吸してます。というか呼吸止まったら命に関わる)体も動かないという状態に尋常ではない恐怖を抱いた。が、慣れてくると「また金縛りかよだりーな」で済んでしまうので人間はすごい。しかし、昨日食らった3発の金縛りのうちの2回は、人の影が見えていた。この時はかなり睡眠が不安定だったらしく、目でその人の影を認識した直後に金縛りにあった……という記憶がある。起きてみれば何のことはなく、窓辺にぶら下がったアクセサリーと「日が差し込んでいるが薄暗い」程度の微妙な光が窓から差し込んでいて、それらが薄暗い人の影のように見えてしまったのだろう。そもそも、見直してみると人の形かどうかも疑わしい。いくら慣れているとはいえ金縛り状態になるとやはり焦るのだが、しかしこれは前の記事で述べた通り「睡眠麻痺」という医学的な症状であり、超自然的な要素は存在しない(幻覚や幻聴が生じることもあるらしい。私はどちらの記憶もないけどどうなんだろう)。さらに私はこの睡眠麻痺には慣れっこである。しかし今回は、鮮明な意識下ではないが「『人の影から金縛りを受けている』のではないか」と思ってしまった。もちろんこれも見当違いで、起きてすぐに「人の影が金縛りしてくるホラーみたいな展開あるわけないだろ」とその記憶を振り払ったのだが。

 

 

ここまで前置きでした。

本題に入ろう。その前に一つだけ述べておくが、私はオカルトをほぼ信じていない。オカルトとかスピリチュアルという言葉でくくると少々雑かもしれないが、具体例を挙げれば神とか霊とか天国とか地獄とか占いとか手牌にドラが集まるとか。全然信じてません。これを「議論する」、例えば「霊はいるのかいないのか?」みたいな面白そうな議題があったら、私は否定派に回る。しかし、超自然的存在を信じる人々の「気持ち」を否定したくはない。故に、これは私の個人的な考えとして述べるものだし、超自然を信じる人々に「いやいや神とか霊とかいねーから」と考えを押し付けるつもりは全くない。

 

さて、私なんかは「なんで夢を見るの?」といった科学的な意味での疑問を当然抱くのだが、Wikipediaさん曰く「夢を見る理由は不明」らしい。オイオイオイ、大したことねーわ科学の力。

しかし、この「夢」に対して逆に「非科学的な捉え方」をしてみると、視界がとても広くなるとでも言おうか、様々な事柄が確認できる。

想像しやすい例を挙げれば「夢は神のお告げ」というのは古来から存在する考え方だ。そして今なお、このように考える人も多数存在するだろう。私としては「神なんていないいない」と否定してしまうが、Wikipediaさんすら「夢を見る理由は不明」と言っている(アツいWikipedia叩き)のだし、科学的云々を置いておくとしても、本当に「神のお告げ」であるかもしれない。まぁこれも私としては信じがたいが「飛行機が墜落する夢を見て飛行機への搭乗をキャンセルしたら、実際に飛行機が事故を起こした」なんていうことがバラエティ番組で放送されてた、ような記憶がある。かなり前の記憶だし、全くのウソでたらめかも知れないが……。

ここでさらに、別の視点で見てみる。女の子とかが好きそうな「夢占い」とかどうだろう。色恋沙汰は無縁ですけどね私。「飛行機が墜落する夢の占い」に関してググってみると「運気の低下を示している」だったり「計画が頓挫する前兆」だったり、いろいろな夢の解釈(占い、という名目ではあるが)が存在している。しかし、あえてこの段落の先頭に書かなかったのだが、これは「完全な非科学的アプローチ」ではない。なぜなら、夢には「潜在意識が表れる」という科学的な見解も存在するからだ。この夢占いでいうと「占い」とはついているが「夢に表れる潜在意識の分析」と考えると科学的な解釈もできる。

他方「夢占いはやはり非科学的な面を持ち合わせている」という私が支持したい考えも存在する。これは聞いた話なのだが「カウンセラーや心理士は、夢占いとは全く異なる自身の技術により、極めて正確な潜在意識や心理状態を分析する」そうだ。クライアント(=カウンセリングを受ける人)の見た夢を聞き、分析したうえでカウンセリングに反映するとも。つまり、心理士やカウンセラーからすれば(夢占いなんて適当なものあたるわけねーだろ)って感じかもしれない。この文のせいで心理士と夢占いファン双方に謝罪しなければならなくなった。ごめんねごめんねー。

 

これは最初に述べた「夢は神のお告げ」とは全く違う方向に行ってしまった。というか、あまりにめちゃくちゃで私も混乱している。行き当たりばったりで書いてしまいましたねぇ。最初に「夢は神のお告げという考え方」「非科学的な視点で見る」といいつつ、気付けば「潜在意識や心理状態の分析ができます」「超科学的です」とどたばたである。適当にまとめてしまおう。驚くべきことに「夢とは何か全く分からない」。Wikipediaさんと似たような結末に。だがそれだけではない。「思想や立場により解釈が異なる」というのは間違いないだろう。さらに、私が思ったのは「科学的・非科学的という分類は非常に曖昧且つナンセンス」ということだ。

ここで挙げたのはあくまで一例であり、「夢」というたった一つの事柄に対しても、無数の解釈が存在し、時にはそれを行動に反映させる人々もいるだろう。これに関しては「科学的・非科学的」どちらかの視点に傾倒せず、言い換えれば「現実的、人知・超自然的」その両方の視点から物事をとらえ、得られる情報の選択や可能性の模索をするのが「人類」として一番優れているやり方なのではないだろうか。

人類などと随分大仰な表現になってしまったが、地球上で最も繁栄している人類が「進化」するのなら、こうあるべきだと私は思う。

まぁ私は信じがたいですけどねオカルトとか。この一文で台無し。フォローするなら、これはさっき述べた「思想や立場により~」のくだりである……。

 

 

拙い文章だが、ここまで読んでくれた方に感謝を。そしてここからは余談である。本文とは違う私の思想を書くためちぐはぐな印象を受けるかもしれないが、良ければ読んでほしい。

 

私は小さい頃「いやー、霊とかいないかなー。霊とか見えたりしないかなー。霊の声が聞こえたりしないかなー」とかよく思っていた。って思ってたんかい! オカルト信じないマン衝撃発言。

比較的最近だが、私は仮説を立てた。「神」や「霊」という存在は、人間の求めた「救い」なのではないか、と。

「神」が善い行いをしたものに恵みを与え、悪い行いをしたものに罰を与えるのなら「人類」は良い方向に向かっていく。苦しくても「神が見ているのだから、ここで腐ってはいけない」と奮起できる人もいるだろう。

死んだ人間とは、話すことはできない。永遠はなく、死は絶対だ。しかし、もし「霊」がいるのなら。今は亡き大切な人が「霊」として見守ってくれているかもしれない。もしかすると「霊」の声が聞こえるかもしれない。「霊」が見えるかもしれない。それは、大切な人を失った人にとってどれほどの救いだろうか。

私は昔、サンタクロースやら超能力やら悪の組織幽霊タイムマシンとかとかとか……いろいろな「超自然的存在」を信じていた(悪の組織だけ明らかに浮いてますけどね)。なお、サンタクロースに関しては、親の「はいクリスマスプレゼント買ってきたよー!」でぶち壊された。ふざけんな。

そして私は今も、そういうもの(≒超自然的存在)があってほしいと思っている。見えないものが見えるってとっても素敵だと思う。突然自分が超能力に目覚めたりとか、霊と会話できるようになったりとか。いや、自分でなくてもいい。何か超自然的存在があってほしい。

しかし私は、同時にそれを強く否定している。

「お話」のせいだろうか。感情移入(一応述べておくと、自惚れた自己投影が混ざっている可能性も高い……)が激しいらしい私は、アニメなり小説なりSSなり、様々な架空の「お話」に強く引き込まれた。それらはとても輝いていて「もし現実がこうであればどんなに良いだろう」と、何度も何度も思ったことがある。それが小中高時代だろうか。

そして、だんだんと時が経つにつれて気づくことになる。「お話はお話である」と。霊なんか見えないし感動の再会なんてない。アンドロイドやサイボーグが銃撃戦を繰り広げたりもしない。とある人間のクローンとして生まれ何の記憶もないはずだけど、実は元の人間の記憶が残っていて好きな人のことだけは覚えていた、とかも多分ない。

自分がつまらない人間であるというのは正しいと思う。しかしそれも含めて、きらきらしていた「お話」の世界と、無色の「現実」はあまりにも違った。私はこの時から少しずつ「現実」が嫌いになって「お話」もあり得ないことだと否定し始めた。超自然的存在なども含めて「『お話』は『現実』にはない」と。

これはもはや、ただの意地だと思っている。現実に何の色も付けられなかった私の意地だ。

 

神も霊もいない。運が強いとか弱いとかありえない。占いなんて絶対当たらない。

 

でも「『今度焼肉でも行こう』とか話しながら、かわいい女の子と一緒に歩く」という夢は今でも覚えているし、きらきらした夢だった。

 

これで私の話はおしまい。

 

 

久々にかなり長い記事を書いたような……。実はとある記事に触発されて衝動的に書いたものなので、その記事へのリンクをはり付けておく。とはいえ、元々書きたいテーマでもあった。

happy-medium.hatenablog.com