自分が大好きで大嫌い
タイトルからしてポエムになりそう。
海未ちゃんもきっとこんなベクトルのタイトルでポエム書いてたんだろうなぁ。私は黒歴史の塊なので気持ちがよくわかる。黒歴史を思い出した時って、枕に顔うずめて足ばたばたしたいというより壁に頭がんがんぶつけたい気分になるんだよねぇ。と、真面目な話をするつもりなのにのほほんとした出だしだが大丈夫だろうか。いまいちシリアスな展開って難しいな。きっと適当な人間なのだろう。ここまで書いて気づいたがもうポエムっぽい記事書いてるし。よって強引に話を進めていく。
私は自分が大嫌いだ。
私にいいところは何一つないとか他人より劣っているとかは当然なのだが、その次元ではあまり考えていない。
ただ単に私が思っているから、自分が嫌いだ。
自分は大好きだが、多分それ以上に大嫌いだ。
何故なのだろうか、というのを書きだすためにこの記事を書き始めてみたのだが、言葉にするのは難しいな。文章のアウトプットは得意だと思うが、幼稚なので結局はこんなものだろう。
努力をしないとか、頭が悪いとか、すぐ感情的になるとか、計画性がないとか、要領が悪いとか……思い当たることだけならたくさんある。
最近一番思っているのは「自分という存在が、誰の一人も笑顔にすることができなくて、楽しませることもできなくて、誰も救えない」ということだろうか。昔泣いたときもこんなことを思っていた。
好きな人を喜ばせたいとか、楽しませたいとか、救いたいとか、笑顔にしたいとか。
私はできるならそうしたい。
だが私には何もないので、そうすることができない。
無力という言葉を使うのは癪だが、私という存在は今までもこれから先も、ずっと誰かに救われてばかりで、なのに誰かを笑顔にできることはないだろう。それがとても辛い。
しかし、私が私を好きな理由もここにある。
意外だろうか、私はこれ以上ないほど友人に恵まれている。中学時代からの親友とは今も続いているし、他の会う機会が少ない友人とも一緒にいて楽しい。こんな人間と接してくれて、一緒にいてくれることはとても嬉しい。
そして、私の何がいいかなんて全くわからないが、その友人と一緒にいられる自分も少し良いものなのかもしれないなと思う。
さっきも言った通り、私は誰かを救ったり笑顔にできたりしないのは辛い。親友と一緒にいられた中高時代に二度と戻れないのも辛い。しかしこの痛みが、私に心があることを、私に自分があることを示してくれている。そう考えると、この痛みが少し嬉しかったりするのである。
……ポエムになってしまった。いや知ってたけど。
どうせ私は黒歴史の塊なので一つや二つ気にしない。むしろこれから死ぬ気でポエムを書き続けてもいいくらいだ。
はぁ、自分って難しいね。なんだか考えるの面倒になっちゃうや。