世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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綺麗事が大嫌いと綺麗事好きが言ってみるテスト

努力する人間は輝いている、というのはまだわかるが、努力する人間には価値がある、とか言い始める人間は大嫌いだ。努力してても価値のない人間なんてたくさんいる、そのまた逆もあるだろう。この手の精神論しか考えないバカが持ってる努力主義的な思想はなんなのだろうか。こういう人間が世の中を駄目にしているのだろうとつくづく思う。発端は、なんとなく死にたくなったが自殺など踏み切れるわけもなく「死ぬことにすら努力できないのはさすがに努力嫌いが過ぎるか」と思って「死ぬ 努力」でググったらこの手の精神論が出てきたという極め付けに下らないものなのだが、これによって自殺云々より精神論死ねというベクトルに気分が向いたためある意味救われたかもしれない。
しかし……というか、ホントにこういう精神論はなくならないのだな。私はこの手の話を信奉している人間とは絶対に深く関わりたくない。私の友人には多分いないと思うが……。別に、精神論を完全に否定しているわけではない。心持ちやテンションが壁を壊すこともあるだろう。しかしそれは、確実に、と言っていいほど、全てに通用するものではない。試しにうつ病の人間に信奉している精神論を持ち出してみるといいだろう。きっとその人間は追い込まれて自殺か、むしろ殺しにかかってくるかもしれない。アフリカの貧しい子供達のところへ行って「お前らは努力が足りない」「気合が足りないから貧しいんだ。気合いを入れろ」などと言ってみれば、精神論がどれほど愚かか自覚できるのではないだろうか。精神論で乗り越えられない壁だって存在するのだ。むしろ、大多数は精神論では壊せない壁である。まぁ、私は全く努力をしてないので精神論を否定できる立場かは怪しいのだが、努力をしている人間になら精神論が通用するわけでもないだろう。うつ病になる人間は真面目で仕事熱心な人間が多いと聞くし、真面目で努力を怠らない人間にも精神論がマイナスになることすらある。……と、さりげなくフォローしてるみたいでムカつくので断言しておくが、私は別に真面目でもないし努力を怠らないわけでもない。もう一度言うが、私は別に真面目でもないし努力なぞクソくらえである。うつ病にも色々あるんやね(ニッコリ
とにかく、精神論に関わらず、日本にはやたら美化された綺麗事が多い気がする。例えば接客は立ってやるものとか。私は別に座って接客してもいいと思うのだが。それとも、立っていないと丁寧な接客が出来ないとか? なら立っていろ、ははは。アニメやマンガやおとぎ話の「善は勝つ」「愛は尊い」みたいな綺麗事は嫌いではないが、現実世界の「正義は勝つ」「努力でどうとでもなる」というような綺麗事は嫌いで仕方ない。……と、以上愚痴でした。読んでて面白いのかこれは……。

だいぶ逸れたが本文を書くと「いい加減自殺未遂くらいやりたいけど死にたくないし痛いの嫌だしでも生きててなんもいいことないしどうしようかな」という結構どうでもいい内容である。それこそ気合でさっさと車に飛び込んでくればいいようなものだが、もし死んだらと考えると怖い。っていうか、痛いのはやだ。こうやってリスクを恐れて何もしないからつまらないんだろうな……。薬の一気飲みも考えたのだが、あれは全く死ぬ気配がないので無駄だと判断しやめておく。昔50錠くらい飲んだのに普通に寝て普通に起きたし……。ただ、精神安定剤デパス)の筋弛緩効果により全身に力が入らず、立つとふらついて転びそうになったりはした。睡眠薬も10錠くらい飲んだはずなのだが命に関わるようなことは全くなかったな。ということで、飲むものにもよるだろうが、オーバードースは自殺未遂にすらならない。以上。じゃあリストカットでもしようかと考えたが、別に痛みを求めてるわけではないのですぐやめた。そして眠気がきて、今日も死ねないまま寝る……。ということになりそうである。別に死ぬ必要があるわけではないのだが、なんとなく「死ななければならない」「死んだほうがいい」「隕石降ってきて死なないかな」という方向にいってしまう。『希死念慮』そのものだろう。これがどこから来るのかというと、多分前の記事で述べた「自分を見失っているから」なのだろうか。それとも、他の要因があるのか……。私にはわからないが、ほとんどのことを楽しく感じられない今、生きてる必要があるかというとそうは思えない。かといって死ぬ必要もないのだが、なんとなく死に向かいたい気分になるのは何故だろう。らーんらんらーんらららーんらららーん♪