世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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Day after day

気付いたらブログの総閲覧数が1000を突破していた。読者の皆さまがたに感謝。しかし一体どこからこんなブログに1000人も迷い込んで来るのか、なかなか不思議なものである。今後も更新を続けていくのでよろしくお願いいたします。


夜中特有の鬱が入りこの記事を書くに至った。やはり精神的には安定してマイナスなのだが、特に深夜帯は気分が大きく沈む気がする。さっきまでゲームやったりネットを見たりしていたのだが、ほとんど面白さを感じなかった。それでも何もしないよりはいいだろうと思い続けていたが、どんどん行為の無意味さを深く考えてしまいついにやめてしまった。ゲームをして何になるのだろう。何が得られるのだろう。何も面白くない。前までの私は色々なことを楽しめていたはずだが、今の精神状態でゲームを楽しいとは感じない。究極的にいえば「生きてて何になるのだろう」ということまで考えてしまうほどに気持ちが沈んでいる。
よく「生きてて楽しいことなんてたくさんある」と言って励ますような人間がいるが、私にあの言葉は何一つ響かない。だって、当たり前である。生きてて楽しいことが何一つなかったらそれこそ死んでいるだろう。だが「楽しいことがたくさんある」裏には、そのたくさんを超える大量の苦労と退屈がある。私は先ほどお菓子を一袋食べてきた。何も楽しくないならせめて安いものでいいから美味しいものでも食べよう、と自分に気を遣ったのである。しかし、このお菓子一袋を食べるためには私はお金を使わねばならない。私に無条件でお金を渡している親は働かねばならない。たった一袋のお菓子を食べるという「楽しいこと」を得るために支払うコストは大きい。それに、人生の大部分は楽しくなどない。今の私にとって楽しいことなど「好きな人と会話する」くらいしか思いつかないが、毎日それができるだろうか。友人と顔を合わせることなどたまにしかない。たまに顔を合わせ、少し話しておしまいである。その他の日々はただ退屈な日常で「楽しくない」。アニメやマンガが楽しいものに見えるのはそれが非日常であるからであって、私たちのこの世界の日常など何も面白くないのである。人は、日常を少しでも楽しくしようと、そしてまた少しでも非日常を多くしようと努力するのだろう。しかし私はその努力をしないので、何も得られず何も面白くない日常が続くのである。そしてこれから先も、私はほんの少しの非日常を除き、何も面白くない日常を繰り返すだろう。

来る日も来る日も。