世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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私には、何があって、何がない?

他の誰ともくらべずに。

 

小学生の頃、友達はたくさんいたが、同時によくいじめられていた。いじめはいじめられる方にも原因があるという論は大嫌いだが、ことこれに関しては私の方に多大な原因があったので引き分けということにする(意味不明)。今とは違いなかなかハイエネ(省エネの対義語?)であり、色々元気な子だった。中学生の頃は省エネ志向にシフトしつつも、色々な同級生とよく話していた。この頃からいじめという概念は徐々に無くなったが、それでも私は「イジり」の対象になりまくっていたため、学年で一番名が知られているんじゃないかという省エネ志向とはかけ離れていた現実もあったが。この頃から引きこもりがちになるが、たまーに学校に顔出すと歓迎(もとい心配?)され、クラスの入り口でちょこっと手を振って「おはよー(小声)」というとあー久しぶりやらたまには学校来いやらありがたい言葉をいただいた。この頃の周りの優しさには感謝してもしきれない。対して能もない引きこもりを歓迎してくれる優しさ。余談だが、手を振って教室に入る時、歓迎を受けている様子からか「アイドルみたいだな」とクラスメイトにボソッと言われた。不登校引きこもりがアイドル……?高校生の頃はいざこざがあって、このブログで述べているように中退。この頃から省エネ志向がさらに強くなり、友人と呼べる友人は少なめに。その後はここで語る気はしないのだが(一応激動の時代ではあったが)、専門学校中退とか色々。専門学校では何も得られなかったように見えて、今でも話すような友人が専門学校で出来たので悪くなかった。私は、こんな感じだった。

 

私には、何があって、何がない?

 

この記事を書く前はBF1をプレイしており、攻撃機に乗って空から歩兵を殺しまくり舞い上がっていた。しかし突然賢者モードに入り、私は何をしているんだと素に戻る。ゲームは楽しい。友人と話すのも楽しい。ネットも楽しい。でも、あまり満たされない。言いようのない空回りの気分が常にある。

私にはわからない。私には何があるのか、私のやりたいことは何なのか。他の誰ともくらべずに。

それこそ、小学生の頃であれば待つこともできたかもしれない。初花開花の時を。しかし、その「待つ」時間は既に、限りなく終わりに近い。なのに私は何も見つけられない。私に何があるのかも、私のやりたいことも。

私は安全な「子供」の時代を終え、迫り来る「時」との戦いを余儀なくされ、覚束ない精神状態に初めて気づいたかのように、これを恐怖するしかなかった。

私は怖い。何も見つからない先に、何があるのか。