世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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不保障進化

もう私には自分がわからない。

今まで歩んできた道のりに確固たる何かがあったかと考えてみると、何もない。

ただ、今まで努力が嫌いで努力はしてこなかったとか、自分が恐ろしいくらい無能だとか、そういうことしか思いつかず。

今でも、努力は嫌いだし、自分が無能だとも思っている。この生き方はとても楽で、私は自分に攻撃を向けることによる精神的ダメージと引き換えにこの甘えを手に入れていた。

そして、それは自分の基盤ともいうべき真実だと信じて疑わなかったのだ。

もしそれが覆るのなら、私は変わらざるを得ない。しかし、そんなことはあり得ないと私は甘えきっていた。それは「夢物語」だった。

努力する自分とか、有能な自分とか、それは全て「お話」であり、「こうだったらなんて素晴らしいのだろう」とか「とても感動する」とか、そのようなもので良かった。美しくも手は届かない、星空のように。

そして時たま、星空に想いを馳せて手を伸ばし「ああ、やっぱり届かないな」とか「私じゃ無理か」などと考える。他人からは愚かに見えるかもしれないが、私にはこれくらいがちょうど良かった。

しかし、その届かない星が突然手元に落ちてきたら、その星は私を焼き尽くす隕石となる。

その可能性は常にそばにあったはずだが、驚くべきことに、かしこいはずの私は今までそんなことに全く気付かず、もしくは気付いてもそうでないふりをしていた。

ダメとか何もできないとかバカだとか努力しないとか無能だとか、そのような「最悪の自分」は、最大の盾であった。しかし、それを構えるのに必死な私は「変化する自分」という剣を置き去りにしていたのである。

そしてその「もう一つ」は、どんどん進化を遂げていた。これは成長であり、良いことであるかもしれないが、同時に「保障されていない」ものであった。

いざその剣を、いざその星を前にして、私は向き合えるか?

何も保障されていない成長を、私は手にできるか? そんな勇気はどこにある? 今まで甘えきっていた自分が、突然大きな水溜りを「飛べる」とでも言うのだろうか?

未来の私が今の私に会ったら、なんて声をかけてくれるだろうか。