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世の中そんなに甘くない!

日本では最底辺に位置するであろううつ病の自称異端者が適当に語ってみるスレ。

人間は所詮一人だという究極的に恐ろしい事実

雑記 衒学的哲学

毎日毎日働きもせずやるべきことはせず、というか何も考えずゲーム三昧である私だがこの時間にバトルツリーを20連勝(前記事の連勝記録は44であっさりストップしました。プレミで負けた……)しお腹も減ってきたので、その辺にあった冷凍食品、ナポリタンにチーズをかけるちょい足しをしておいしく頂きながら考えていたのがこのタイトルである。

 

生物的な話をするとそもそもAさんやBさんは同じ人間であっても別の個体なので「当たり前だろ」ですむのだが、人間という生き物の(無駄に発達した独自の)生き方、その方向で考えるとこの事実がとても恐ろしくなるのは、私が何も持っていないからだろうか。それとも、どんな人間も一度はこのようなことを考えるのか?

 

例えば、私はうつ病を患っている(今は元気だしこんなのがうつ病だと全国のガチうつ病の方に申し訳ないので治った扱いにしたい)し、こう見えて今年の前半から中盤あたりにかけては、比喩的にいうと見る世界全てが色彩を諦め、灰色に見えていた。……というのは大げさだが、あの頃はホントに思考がおかしくなっていたように思う。考えることといえば、望みのない将来と今自殺するか生きてて何になるかという答えの出ないことについてばかり。気晴らしにゲームをすれば却ってイラつき、物に当たり、酷い時は自室の踏み場がなくなるくらいものをばらまいて当たり散らした時がある(うつ病の割に活動的ですねこの子……)。これは今もなのだが、憂鬱な時期に重なるように睡眠も不安定。無気力なことも多く、酷い日は何も食べず一日中ずっとベットで横になっている、なんてこともあった。まぁ、他人に辛い経験を話したところで何にもならないのだが、これはちょっとした思い出話程度に聞いてもらいたい。

私の考えだが、うつ病……もとい、精神的な障害や疾患全ては、その程度や種類によるが、大方他人の理解を得ることが難しいように思う。例えば、この頃家族は「お前も辛いだろうが、私だって辛い」「気分転換でもしろ」などと、いわゆる「うつ病の人間に対して言ってはいけない言葉」を大量に浴びせてきたし、結局理解されるのはうつ病が薬によって少しずつ快方に向かっていた頃。先日会った友人にも興味本位で「私がメンヘラだった頃どのような思いがあった?」と聞いてみたら「何に悩んでるのかわからなかった」との答えが返ってきた。……と、この論調だと「もっと理解をうつ病への理解を深めて欲しい」とか言い出しそうだが、そんなことは全くない。むしろ、私も今思うと「あの時一体何を悩んでいたのだろう……」となってしまうし、家族の理解のなさに関しても「これは理解しにくくて当然だ」と納得できる。決して周りが悪かったわけではないのだ。あえてキツい言葉で言ってしまうと「程度によるがうつ病は周囲からすれば理解しにくく、また共感も得られにくい。周りが理解してくれるとは思わない方がいい」というのが私の経験談である。しかし時というものは人間にとって良い薬であり、だんだんと周りに理解されてきてから自分も少しずつ生きやすくなってきて、今に至る……と、こんな話。

しかしもしここで周りが私を全く理解しようとしなかったら、私は多分自殺かなんかで死んでいたように思う。ここは幸運なことに、むしろ恵まれた周りの人間に助けられて今日まで生きていられたのだ。そして、もし周囲の人間が理解を示さなかったら……と思うと、そこには恐怖がある。例えば「学校にも行かず家でだらだらしてるような人間は家から追い出した方がいい」と、親が判断していたら(というか実際出ていけと言われたのだが、逆上して親をぶん殴りことなきを得た……。今思っても、あそこで私が逆上したのはこの上なく正解のように見える。親がぶっ倒れたのはやりすぎな気もするが)。万に一つもないが、もし友人が「あいつうつ病みたいだし面倒そうだから関わるのやめようぜ」と考えていたら。そもそも友人がいなかったら? 家族がいなかったら? その光景を考えると、私のような何もない人間が生き抜ける気は全くしない。私は幸運にも、うつ病により死ぬことだけは避けられたのである。しかし、この先にはまだまだたくさんの死の機会(chance)があるだろう。

これだけだと小さな話に収まってしまうのだが、これはどんな人間にもあり得ることではないだろうか。うつ病だけではなく、いじめで自殺するような人間もいる。日本の犯罪件数は少ないが、人が人を殺す殺人のようなことだって起こっている。極端な論理かも知れないが、人間は所詮一人であり、小さな存在であるが、同時になんだってできる。自殺することもできるし、他者を殺すことも可能だ。一人の人間がきっかけで、人が人を殺しあう「戦争」すら起こり得るのだから。それを考えると、一見普通の人間──普通の人間など存在しないが──であれ、私のような尖った人間であれ、一人の人間としてみれば等しく価値があり、しかしそれは周りや自分の行い次第であっさりと価値を失ったり大きく高めたりする。そしてその可能性は一見平穏な社会に溶け込んでいて、抑制されているように見えるが、究極的には個人個人に抑制などなく、行動も何もかも全てが自由である。少し考えれば辿り着きそうなことではあるが、なんだか人間という存在自体が少し恐ろしく感じてしまった。