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世の中そんなに甘くない!

日本では最底辺に位置するであろううつ病の自称異端者が適当に語ってみるスレ。

バッドエンドはバッドエンドなのか?

衒学的哲学

アニメ「ダンガンロンパ3」と映画「君の名は。」の軽いネタバレがあるので注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アニメのダンガンロンパ3で推しが死んだ。しかしダンガンロンパではよくあることなのであまりショックは受けていない。というか、私は物語的に悪い展開もしくはバッドエンドが嫌いではないのだ。

 

『愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい』 -ウィリアム・M・サッカレー

 

この言葉が表すのは「愛してその人を得ることはもちろんこの上なく良いが、愛してその人を失ったとしても『愛した』という過程自体が素晴らしく美しく、良いことである」ということだろう(勝手に解釈したけど真相は知らない)。つまり、最終的に悪い結果になろうとも、その過程に心動かされるものがあればそれは決して無駄ではないということだ。

例えば、沈没した船に閉じ込められて生死が絶望的な状況で一時を過ごした後、奇跡的に救助が成功して助かったとしよう。物語的に言えば文句なしのハッピーエンド。しかし本当にハッピーだろうか? もともと生死の危険とは全く無縁な船旅のはずが、不幸で船が沈没した上に生死の境まで追い詰められる。結果的に助かったものの、そもそも船が沈没しなければこんな死を覚悟するような思いはしなくてすんだのである。最初から全くハッピーではなく、むしろ結果が良かったというだけで全体的に見れば悪い思いしかしていない。しかし、当事者が思うことはやはりこんなことではないだろう。「生きててよかった」とか「なんて幸運なんだ、ありがとう神様」とか、ハッピーな思いしかしないのではないか。船旅はダメになるし生死の境をさまようし、バッドエンドとまでは言わずとも「総合的に見れば決して良くない結果」なのに、その過程に「死にかけたけど助かった」というとても非日常的かつ良いことが起こったのでなんだかハッピーエンドっぽく、というか一般的なハッピーエンドとして物語が終わるのだ。何度もいうが、総合的に見ればプラスな出来事は起こってないにも関わらずである。

私たちが見る『架空の物語』は、当然ながら自分で経験したものではない。例えばアニメはテレビを通して見るし、小説も本で読むものだ。故に、この「結果が悪くても過程で感動できれば良い物語」という傾向はさらに強くなる。さっきの例なら、結果的に救助されずに死ぬという最悪のバッドエンドでも、その過程で必死に生きようと様々な行動を起こす主人公であればそのシーンに心打たれるかもしれない。バッドエンドの物語がホントに何一つ良いことがなくひたすら胸糞悪い出来事を並べたものであったら、誰が悲恋モノを好むだろうか。「やっと実った恋がすぐに引き裂かれて終わる」というような、過程→マイナスの結果に感動する人間は少なくはないだろう。「結果恋が実らなかったから何一つ良いところがない物語だった」となる人は少ないのではないか。結果は大事ではあるが、当然ながら人間は過程にも心動かされるのだ。逆に物語以外だと結果が全てだったりするものも多いけどな……。

というわけで、私はハッピーエンドもバッドエンドも嫌いでも好きでもない。というか、物語の結果にはあまりこだわらないタイプなのかもしれないな。例えば、映画「君の名は。」だったら、最後のシーンで二人がすれ違ってそのまま終わっても「もどかしい。でもそれも味があるしいい物語だった」となるだろうし、それどころか三葉が隕石で死ぬ世界を変えられずに終わってても「悲しいけど、悲しいという意味でもいい物語だった」とあんまり変わらない感想を残すだろう。うん? これって単に自分が少数派なだけか……? っていうか絶対そうだ……

 

ということで、ここまでの話は全部忘れてください。忘れろ忘れろ、忘れろビーム!