世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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私が無能という風潮

百里くらいある。

非常に極端な考え方なのは自覚しているが、私は自分をこれ以上ない無能だと思っており、他の人間が理解しがたい言動や行動をしているたびに(なんで私でもわかるようなことがわからないのだろう。なんで私でもできることができないのだろう)とその人への印象が下がる。無能の自分が出来ることは他の人が出来て当たり前とすら思っていた。

しかし、今回の知能検査の結果でこの考えがどれほどズレていたのかを強く自覚することになる(もともとズレているというか捻くれていたのは自覚していたが)。私の言語性IQは上位3%に位置する。かなり大雑把な例だが、ある事柄を100人にやらせたとき、それを達成できるのは私含めて3人だけなのだ。そのくらい私は突き抜けている(優れている、とも言えるがなんか言いたくない……)わけで、むしろ自分が出来ることでも他の人は出来なくて当たり前だったのである。私はこれを今の今まで見落としていたのだ。そして、人を見るたび「なんで無能の私でもできることができないんだ」とバカにしていたのは大きな間違いであることにも気づく。私はこれを何度も何度も積み重ねてきたせいで、世間的には「ちょっと不注意」程度の言動や行動、つまりすごく軽いことでも、それを自分の中で増幅させ「私がわかるのにこの人はわかってない。極めて愚かだ」と厳しく評価してしまっていたのだ。ちなみに、友人に対してこれをあまり思わないのは親しいからというだけでなく、その人をよく知ってるからだと思う。つまりそもそも、その人をよく知らずバカにすること自体間違っているのだが……。それはともかく、いってしまえば、この「自分が一番下にいる前提で、自分が出来ないことがあってもそれは当然だと流し、自分が出来ることを出来ない人は無能と見下す」という考え方こそが私が無能である証なのだ。いやぁびっくりだ、目からウロコですね。

 

しかし、やはりこれもすぐには変えられないわけで、私という人間には課題が山積みであるということを痛感する。夏休みが終わるというのに課題は山積みって大変ですね。いやうまいこと言ってしまった。ははは。