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世の中そんなに甘くない!

日本では最底辺に位置するであろううつ病の自称異端者が適当に語ってみるスレ。

切なくて 時を巻き戻してみるかい? 〜『ラブライブ! The School Idol Movie』感想、謎の女性シンガーについての考察など〜

のののー いまが最高!

 

 

なんて言えたらどれほどいいだろうか……。

 

タイトルが長くなってしまったが、内容はタイトル通り。先日ラブライブの映画DVDを借りてきて、それが視聴し終わったので思ったことを書いていこうと思う。感想と書いたが、どちらかというと自分と重ね合わせた(僕の悪い癖)ような主観も多い。文章をまとめる力もない(僕の悪い癖)なので、思ったことを突発的に箇条書きにしていく。ネタバレ注意? こんなクソブログ見てネタバレ食らうより今すぐ映画を観てこよう!

 

・限られた時間で輝く

この映画のテーマだと思うし、深く考えさせられた。

映画の内容から話していく。この物語では、穂乃果たちの「μ'sを続けるか、終わりにするか」という葛藤が一つの焦点だった。しかし最終的には、メンバー全員が同じ気持ちでμ'sを終わりにすると決意することになる。「限られた時間の中で精一杯輝こうとするスクールアイドルが好き」というセリフは良かった。しかし、そこに至るまでの葛藤が少々早足だった気もする。映画だから仕方ないか。

線香花火は誰もが夏の季節に楽しんだだろう。詩的すぎて少し躊躇ってしまうのだが、彼女たちはまさしく線香花火のように限られた時間の中で輝いていた。私のような輝けない人間には少し切なく感じるほどに。

そして、このことは現実にも言えると思う。極論かもしれないが、人はいずれ死ぬからこそ今を精一杯生きるのだろう。μ'sのように美しく輝けるかはまた別の話、というのは少し虚しさも感じてしまうのだが……。

 

・喪失感と満足感

ところどころうるっとくるシーンはあったが、SUNNY DAY SONG辺りからはもはや普通に泣いていた。予想通り、僕光では涙腺崩壊。知ってた。曲単体でも泣けるあの曲はずるいって……。

しかし、これだけ感動したのに言うのもなんだが、観終わった後の気分は喪失感の一つだけだった。出だしに書いた通りとても「いまが最高!」とはならずむしろ「いまが最低!」ってくらいの喪失感を抱いていた(いろいろ台無しである)。ファイナルライブが終わったこともあり、アニメも1期2期と観て、映画も観終わり……私の中で「ラブライブ!」というコンテンツは終わった。きつく言えば、完全に死んだ。では、その後に満ちてきた充足感は何かというと、それも「私の中でラブライブ!というコンテンツが終わったから」である。「これで終わりだけど良かった」のではなく、「これで終わりだからこそ良かった」のだ。

彼女たちが限られた時間の中で輝いたのと同じように、物語としての、あるいはコンテンツとしてのラブライブ!もまた「限られた時間の中で輝き」終わった。だからこそ、物語として完結して、美しく感じられるのだと思う。

 

・μ'sのその後とサンシャインについて

なので、個人的意見としてはμ'sのその後などは機会があっても描写して欲しくない。彼女たちは過去の存在だからだ。光を散らした後の線香花火が二度と輝かないのと同じように、終わったからこそある儚さと美しさを損なわないでほしい。もっとも、これは制作に携わった人なら多かれ少なかれ感じていると思うが……。

で、ラブライブ!サンシャイン!!についてだが、映画を観終わった後なんとなく「μ'sは超えられないだろうなぁ……」と思ってしまった。これは単に、映画の出来と積み上げてきた物語が良かったからである。しかし、サンシャインにも頑張ってもらいたい。あと、サンシャインでμ'sメンバーが登場するのは悪くないのではとも思う。さっき言った通り彼女たちは過去の存在でありその後の描写はいらないと言ったが、ただ単に前の物語のメンバーが出てくるって面白いじゃんというめちゃくちゃ適当な理由で。この辺はアニメに注目である。

 

・謎の女性シンガーについて

散々オカルトは信じないとか言いまくっていた私だが、これに関しては鋭い直感(自画自賛)が働いた。穂乃果が出会った時は「真姫ちゃんと似てるけど穂乃果にも似てるなー」とか下らないことしか考えなかったのだが、穂乃果を連れて電車に乗ってから海未ちゃんたちと穂乃果が再会するシーンまで見て「……あれ? なんかおかしくね?」とすでに頭で引っかかっていた。その後の描写を見て思ったことは、オカルトもオカルト、謎の女性シンガーさん幽霊説である。理由としては

☆穂乃果が海未ちゃんたちと再会したあと、不自然なほど一瞬でいなくなっている。

凛が「誰もいなかった」と言っているが、これは「ただ単にその場を去った」という意味なら「誰もいない」というセリフの方が自然だろう。「(元々)誰もいなかった」という意味が込められている気がするが、深読みだろうか?

☆再会後、これまた不自然な形で別れる。

強引にとはいえ穂乃果が穂むらまで招待したのにも関わらず、入り口前まで来てから「ここでいい」と足早に別れるのは普通の流れではない。

☆穂乃果が水たまりを飛び越えるシーンでの発言。

「飛べるよ。いつだって飛べる。あの頃のように」

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いいセリフだ……というのはともかく、この謎の場所での「あの頃のように」というセリフは、映画の最初のシーンで穂乃果が水溜りを飛び越えたエピソードを指していると断定していいだろう。なぜ謎の女性シンガーさんは穂乃果の過去を知っているのだろうか? これはもう「超常的な存在だから」としか言いようがない。

など。以上が幽霊説の根拠なのだが、googleで調べてみたら「未来の穂乃果説」というのがあった。幽霊というよりも、多分これだろう。未来の穂乃果というより、未来の穂乃果が幻となって現在の穂乃果に映ったのではないかと思う。こういう突飛なファンタジー、オカルト要素はラブライブの作風に合わないかもしれないが、私は好きである(もっとも、幻覚でもなんでもなく普通の人だったという普通の設定かもしれないが)。先ほど貼った画像の、謎の場所での穂乃果と女性シンガーのやりとりは感動できるシーンだしな。

 

感想やら考察やらいろいろ混じったが、書きたいことはだいたい書いたと思う。しかしというか、未練がましいがやはりラブライブ!というコンテンツが自分の中で終わったのは寂しいな。しかしこれで良いのだろう。サンシャインもあるし、気持ちを切り替えることにする。

 

 

追記:謎の女性シンガーさんについてだが、もう一つ書き忘れていた。

 

☆そもそも再会のシーンが不自然

穂乃果と初めて出会ったのは海外(英語圏なのは確かだが、作中で正確な場所が全く明言されていない。ちょっと気になる)だが、再会のシーンでは日本に戻っている。しかし、短期間で日本に戻る理由がわからないし行動としてはおかしい。だが、あれが穂乃果の見た幻であれば、海外と日本それぞれでタイミング良く目の前に現れていることを説明できる。

 

「あれは別の世界線の未来の穂乃果で、過去の穂乃果を変えるために現れた(謎の女性シンガーさんが「昔グループが解散して、今は一人で歌っている」と発言しているが、これがμ's解散を指していると考えるとありえる説。もっとも、この記事で述べた「未来の穂乃果の幻説」でもこれは言えるのだが)」「μ's全員の具現化(私は真姫と穂乃果を合わせたような容姿だと記事内で述べているが、それ以外にも、身長が高くスタイルがいいのはえりちの要素、おっちょこちょいな面があるのは穂乃果やにこの要素、日本人だが英語がうまく話せるのは希の要素、など。少々無理がある気もするが……。考察からは少し逸れるが、μ'sの名前は歌の女神が由来というのはラブライブファンなら知るところだろう。彼女は歌がうまく、まさしく「歌の女神」として具現化したと考えるとよりそれっぽい)で、葛藤している穂乃果を助けるために幻として現れた」など色々な解釈があるだろうし、それは人によって違っていいと思うが、私個人として言うならば「少なくとも彼女は超常的な存在である」という考察がやはりしっくりくる。この要素がない場合不自然な点が数多く存在してしまい、また、この謎の女性シンガーさんを「特別な存在でない」と考えるとやけにあっさりしすぎてしまう(この映画の中で、μ'sやA-RISE以外の主要人物は彼女しかいない。また、重要なシーンである謎の場所に彼女が登場していることも考えると、これで「普通の人でした」だと拍子抜けしてしまう)ことから自分は勝手に決め付けている……のだが、解釈は人それぞれなので「いや、あれは普通の人だ」でもいいと思う。

もし私の考察が正しければ、やはり謎の女性シンガーさんの存在は映画にアクセントを加える良いものだと思う。少しオカルト的な、ファンタジーチックなのが面白い。こうやって考察の余地を与えられるのはいいものだな。