世の中そんなに甘くない!

『ひとすじの愛だけがこの地球も救うのに怖かった』ラブライバー兼推定発達障害者が書く適当ブログ

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「尊い平和は守られた」 そう、私は宣言した。

さっきまで自殺する寸前まで思いつめていた。キューバ危機なみに危険だった気がする。今まで生きてきた中でも自殺に一番近づいたのは多分この時だろう。今はこうやって記事を書いている程度には落ち着いているので多分大丈夫だ。しかし、いつまたこうなるかわかったものではない。昨日今日と連続で睡眠と食事以外の行動をほとんどしていない。前までがなんちゃってうつ病だったのなら、今出ているのはガチのうつ病であるかのような症状だ。あらゆることに対して全くやる気が起きない。食欲もだいぶ減衰しており、それでもお腹は減るので一食だけ食べて、あとは何もやる気がないので寝ている。
一応、なぜ自殺寸前まで至ったかを書いておく。
もはや食事すら面倒だったのだが、気力があったみたいなので親と妹に怯えつつ下の階へ→昨日親が作ったらしい焼きそばを温めていたが、唐突に立っているのがだるくなって床に座り込む→その時ふっと車への飛び込み自殺が思いつき、スマホで車への飛び込み自殺について調べる→焼きそばが温まったのと祖母が起きてきたので自室へ→自殺を悩むも、やはり他人への迷惑を顧みて断念
こんな感じだったはず。なぜ車への飛び込み自殺なのかというと、あくまで適当な主観なのだが、死に至るケースは少ないように思えるからだ。私は死ぬのが怖いので「もしかすると死ぬ」「100回に1回死ぬ」くらいの自殺未遂を繰り返して死ぬのが一番性に合っている。そもそも本気で死にたいのなら車への飛び込みではなく電車への飛び込みや首吊りを試みるわけであり、本気で死にたいわけではない。ちょっと試してみたら死んでしまった、みたいな感覚で死にたいのだ。もしくはメンヘラのリストカットのような、かまってちゃん的自殺未遂をやりたいのだろう。しかし、ネックはやはり他人への迷惑が大きすぎるということだ。ドライバーからしてみればたまったものではないだろう。だからと言って首吊りとかはやる気が起きない。「どうでもいいが誰にも迷惑かけずに死ねよな 家族にもだぞ」「そんな自殺方法あるの?」「生きろってことだよ 言わせんな恥ずかしい」って感じである。生きることも死ぬこともできないとは、私はこの先どうすればいいのだろう。精神病棟にでも入ろうかと考えている……。

私は悠然と眠り続ける。全てを忘れられる、幸せな夢を描きながら。